序章:オーナー様を取り巻く環境の変化と本コラムの目的
2020年4月1日の民法改正(債権法改正)は、賃貸借契約における「原状回復」の考え方に明確な法的根拠を与え、賃貸経営の実務に大きな影響を及ぼしました。
改正民法第621条では、「通常の使用及び収益によって生じた損耗並びに賃借物の経年変化」について、賃借人(入居者)は原状回復義務を負わないことが明文化されました。これは、従来、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(以下、ガイドライン)で示されていた原則が、法律上の原則として確立されたことを意味します。
しかし、法律で原則が示されたからといって、すべてが解決したわけではありません。特に「特約の有効性」や「通常損耗・経年劣化の具体的な範囲」については、改正民法を前提とした**最新の裁判例(判例)**が実務上の具体的な線引きを示し続けています。
本コラムでは、賃貸物件のオーナー様が、改正民法とガイドラインを正しく理解し、退去時の無用なトラブルを防ぎ、物件の資産価値を維持・向上させるために、最新の判例動向を分析し、具体的な実務指針として提示します。
第1章:民法改正(621条)の再確認と「特約の有効性」の新たな基準
1.1 改正民法第621条の原則
改正民法第621条は、「原状回復」の範囲を明確に限定しました。入居者が負担するのは、「故意・過失、または通常の使用方法を超えた使用によって生じた損耗・損傷」 のみです。
- オーナー様(賃貸人)負担の原則:
- 通常の居住による壁紙の色あせ、家具の設置による床のへこみ、日照による畳の色やけなど、「通常損耗・経年劣化」
- 入居者(賃借人)負担の対象:
- 引越作業で生じた壁やドアの大きなキズ、タバコによる壁紙の変色・臭い、清掃を怠ったことによるカビやひどい油汚れなど、「特別損耗」
この原則の下では、退去時の原状回復費用を「入居者に広く負担させる」ことは原則として認められません。
1.2 最新判例が示す「原状回復特約」の有効性基準
オーナー様が入居者に通常損耗や経年劣化分の費用負担を求めるためには、賃貸借契約書に「原状回復特約」を定める必要があります。改正民法施行後も、この特約の有効性をめぐる裁判は続いており、判例は以下の3つの厳格な要件に集約されつつあります。
(1) 特約の必要性(合意の認識)
特約が有効と認められるためには、入居者がその内容を明確に認識し、自由な意思で合意していることが求められます。
- 判例動向: 単に契約書に記載されているだけでなく、「特約の内容」「入居者の負担となる費用の具体的な範囲」について、口頭や書面で明確に説明し、入居者側が署名・押印などで確認したという客観的な証拠が重要視される傾向にあります。
(2) 特約による負担の明確性
特約によって入居者にどのような負担が生じるのかを、具体的かつ明確に記載しなければなりません。
- 判例動向:
- 「退去時の清掃はすべて借主負担とする」 などの抽象的な記載は、通常損耗分の清掃費用まで含まれるとして無効とされるリスクが高いです。
- 有効性が認められやすいのは、「本物件の畳表、襖、障子については、通常損耗・経年劣化分を含め、借主の負担により交換を行う」 など、対象となる箇所と負担する範囲を具体的に限定している特約です。
(3) 借主の不利益の程度(合理性)
特約が、入居者に社会通念上、過剰または不当な不利益を与えるものであってはなりません。
- 判例動向:
- 「ハウスクリーニング費用全額を借主負担とする」 特約は、通常の使用により発生した清掃費も含まれるため、入居者の負担割合を明示しない限り無効とされる傾向が強いです(特にワンルームなど、金額が小規模な場合を除き)。
- 例えば、「本物件の畳は、経過年数にかかわらず、定額○万円を借主の費用負担とする」 といった特約は、経過年数を考慮せず一律の負担を求める点で、合理性を欠くと判断され、無効とされた事例があります。
第2章:最新判例が示す「損耗・損傷」の具体的範囲と計算方法
最新の判例動向は、単に特約の有効性だけでなく、「特別損耗」と「通常損耗」の線引きや、その費用負担の計算方法についても、オーナー様にとって重要な指針を示しています。
2.1 「タバコのヤニ汚れ・臭い」に関する判断
タバコによる壁紙の汚損・臭気は、通常の生活を超える利用であり、入居者負担となる特別損耗であるという判断で一貫しています。ただし、最新判例では、費用負担の「範囲」と「計算」 が厳しくチェックされています。
- 判例のポイント:
- 原則: 喫煙によるヤニ汚れが原因で壁紙を交換する場合、その費用は入居者が負担します。
- 重要: ただし、負担するのは**「タバコによる汚れが付着した面(部屋全体とは限らない)」** の張替え費用に限られます。喫煙の影響を受けていない部分や、壁紙以外の部分(例:天井全体)まで入居者に負担させることは、原則として認められません。
- 計算: 費用負担の計算にあたっては、必ず**「ガイドラインに基づく経過年数に応じた減価償却(残存価値)」** を適用しなければなりません。経過年数(一般的に壁紙は6年)を超えた壁紙については、残存価値が1円となるため、原則としてオーナー様が全額負担することになります。このルールを無視して全額請求することは、不当利得と見なされるリスクが高まります。
2.2 「ペット飼育」に関する損耗の判断
ペット飼育を容認する物件が増える中で、これに伴う損耗(キズ、臭い、汚れ)の取り扱いも重要な争点です。
- 判例のポイント:
- 特約の重要性: ペット飼育を許可する物件では、原状回復特約に**「ペットによる損耗については、通常損耗・経年劣化分を含め、全て借主の負担とする」** などの明確な合意があるかどうかが決定的に重要です。
- 特約がない場合: 特約がない場合や不十分な場合は、「ペットを飼育したとしても、社会通念上許容される範囲内の軽微なキズや臭い」 は通常損耗と見なされ、オーナー様負担となるリスクがあります。
- 極端な汚損: 柱の広範囲な噛み跡や、尿による床下への浸水など、物件の機能や構造に影響を与える極端な汚損は、特約の有無にかかわらず入居者の特別損耗と判断されやすいです。
2.3 「鍵の交換費用」に関する最新判例
退去時に鍵を交換する費用についても、判例で一定の整理が進んでいます。
- 判例のポイント:
- 原則オーナー負担: 防犯上の理由による鍵の交換費用は、物件の維持・管理という側面が強く、原則としてオーナー様(賃貸人)の負担です。
- 入居者負担となる場合: 入居者の故意や過失により鍵を紛失した場合や、特約で「賃借人の求めにより交換した場合は費用を負担する」と明確に合意している場合に限り、入居者負担が認められます。単に「退去時に鍵交換費用を負担する」という特約は、特段の事情がない限り、消費者契約法により無効とされる可能性が高いです。

第3章:オーナー様のための実務指針とトラブル回避策
最新の判例動向を踏まえ、オーナー様が原状回復をめぐるトラブルを避け、円滑な賃貸経営を行うための具体的な実務指針を提示します。
3.1 契約締結時の対応:特約の「再構築」と「説明義務の履行」
オーナー様は、過去の契約書を漫然と使い続けるのではなく、以下のポイントで契約書を見直し、実務プロセスを整備する必要があります。
(1) 特約の「細分化」と「適正化」
抽象的な特約を避け、入居者に負担を求める箇所を具体的に特定します。
- 見直し例(ハウスクリーニング特約):
- 旧: 「退去時、ハウスクリーニング費用として一律〇〇円を負担する」
- 新(有効性の高い例): 「通常の清掃では除去できない専門的な清掃(エアコン内部、レンジフード内部、フロアワックス等)に要する費用として、一律〇〇円を負担するものとし、賃借人はその内容を理解し合意する。」
- ポイント: 「通常の使用を超えた清掃」 に限定するなど、負担の範囲を明確にすることで、通常損耗分の清掃費用まで負担させているという批判を回避します。
(2) 「説明義務」の書面化
契約時に、原状回復のルールと特約の内容について、重要事項説明書とは別に書面を作成し、入居者に説明し、入居者から「説明を受け、内容を理解し、合意した」旨の署名・押印をもらうことが、将来のトラブル防止に決定的な効果を発揮します。
3.2 入居中の対応:予防保全と記録の徹底
退去時だけでなく、入居中からの対応も原状回復トラブルを回避する重要な要素です。
(1) 入居時の状態の「記録」
入居直前・直後の状態で、物件の全ての壁、床、設備の状況を、日付入りの写真や動画で記録し、オーナー様側で保管します。
- 活用方法: 退去時、入居者がつけたキズや汚れを特定する際の強力な証拠となります。「入居時からあったキズだ」という入居者の主張に対し、客観的に反証することができます。
(2) 定期的なチェックと予防保全
カビや水漏れなど、放置すると広範囲な損耗につながる問題について、入居者からの報告を待つだけでなく、定期的なアンケートや設備の点検を行います。
- 例: エアコンや換気扇の清掃を怠ったことが原因で発生したカビは入居者負担ですが、その原因が入居者側にあることを立証するためには、オーナー様側が事前に清掃の注意喚起や、換気方法に関する情報提供を行っていたという実績が有利に働きます。
3.3 退去時の対応:透明性とガイドラインの遵守
最もトラブルが発生しやすい退去時には、「ガイドラインに基づく透明性の高いプロセス」 の実行が必須です。
(1) 立会い時の記録
退去時の立会いでは、必ずオーナー様側で損耗箇所を写真や動画で記録し、入居者とともに損耗の状態を確認します。
- ポイント: 入居者に対し、「どの損耗が、民法上の特別損耗にあたり、入居者の負担となるのか」 を、その場で丁寧に説明します。
(2) 明確な見積書の提示と減価償却の適用
入居者に原状回復費用を請求する際は、「ガイドラインに基づく経過年数に応じた減価償却」 を適用した計算根拠を必ず明示します。
- 請求書記載の例:壁紙張替え費用:総額 100,000円
- 損耗箇所: 居室の壁一面(タバコによるヤニ汚れ)
- 経過年数: 4年(耐用年数 6年)
- 残存価値率: 1 – (4年 / 6年) = 約33.3%
- 入居者負担額: 100,000円 × 33.3% = 33,300円
この計算過程を明確に示すことで、「全額請求されている」という不信感を解消し、入居者からの理解を得やすくなります。

終章:オーナー様が目指すべき「資産価値維持」の原状回復
民法改正後の最新判例は、賃貸借契約におけるオーナー様側の**「説明責任」と「請求根拠の明確性」**を、より一層厳しく求めています。
しかし、これはオーナー様にとって不利な変化ばかりではありません。ルールが明確化されたことで、適正な手続きを踏めば、不当なクレームや訴訟リスクを大幅に減らすことができます。
オーナー様が目指すべき原状回復とは、単に費用を回収することではなく、「退去時のトラブルを最小限に抑え、入居者から選ばれる、資産価値の高い物件」 を維持することです。
そのためには、
- 契約書・特約の最新判例に基づく見直し
- 入退去時の証拠写真・書類による記録の徹底
- ガイドラインに沿った透明性のある精算
を実務の柱とする必要があります。
原状回復は「契約の終わり」であると同時に、「次の入居者を受け入れるための新しい始まり」です。この機会に、賃貸経営の実務フローを再点検し、より盤石な運営を目指しましょう。
このコラムが、オーナー様の円滑な賃貸経営の一助となれば幸いです。
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